現在もテレビで活躍し続けるデヴィ夫人ですが、若い頃はどんな姿だったのでしょうか?
実は、デヴィ夫人の若い頃の美貌は「東洋の真珠」と称されるほど美しかったんです!
今回は、デヴィ夫人の若い頃の美しさや、19歳で大統領夫人になった波乱万丈の人生についてご紹介します。
この記事を読めば、デヴィ夫人の知られざる若い頃のエピソードがわかりますよ!
デヴィ夫人の若い頃が美しすぎる!

デヴィ夫人の若い頃の美貌は、まさに息をのむほどの美しさでした。
本名は根本七保子で、1940年2月6日に東京都で生まれました。
純日本人とは思えない上品な顔立ちと色気で、多くの人々を魅了したのです。
特に注目すべきは、パリの社交界での評価です。
1970年にフランス・パリに亡命した後、デヴィ夫人は「東洋の真珠」とうたわれるほどの美貌と知性で知られました。
ハリウッド女優並みと称されることも多く、その美しさは国境を越えて認められていたんですね。
17歳の頃には、赤坂の超高級クラブで働いていました。
当時、大卒者の月給が約1万円の時代に、一晩で同額を稼いだというエピソードが残っています。
その美貌がいかに人々を惹きつけたかがわかりますね。
現在84歳になっても若々しさを保ち続けているデヴィ夫人ですが、若い頃の美しさは格別でした。
その美貌が、後の人生を大きく変えることになるのです。
デヴィ夫人とスカルノ大統領の出会い

デヴィ夫人の人生を変えた運命の出会いは、1959年に訪れました。
19歳の時、友人と映画を観る約束をして帝国劇場のレストランで待ち合わせをしていたところ、プライベートで日本を訪れていたスカルノ大統領一行が偶然通りかかったのです。
当時58歳だったスカルノ大統領は、若く美しいデヴィ夫人に一目惚れしました。
39歳もの年の差がありましたが、デヴィ夫人の美貌と英語を話せる教養に惹かれたのです。
後にデヴィ夫人は、スカルノ大統領が自分を選んだ理由について「きれいでピチピチして英語ができた」からだと語っています。
出会った後、二人は3ヶ月間の文通を続けました。
遠く離れた日本とインドネシアの間で、手紙を通じて心を通わせていったのです。
そして文通を経て、スカルノ大統領から「2週間ほどインドネシアに遊びにいらっしゃいませんか?」という招待を受けます。
1959年、19歳のデヴィ夫人は、スカルノ大統領の招待を受け、単身でインドネシアに移り住む決断をします。
そして1962年、22歳の時に正式にスカルノ大統領の第3夫人となりました。
1967年には長女カルティナをもうけ、10年間にわたり大統領を支えることになります。
デヴィ夫人の若い頃の苦労と努力

華やかな大統領夫人としての生活の裏には、デヴィ夫人の並々ならぬ苦労と努力がありました。
デヴィ夫人の若い頃は、貧困生活を脱却するための苦労の連続だったのです。
幼少期は貧しい環境で育ち、17歳で赤坂の超高級クラブで働くようになりました。
しかし、デヴィ夫人はそこで諦めることなく、自分を磨き続けたのです。
高級クラブで働きながら英語を学び、教養を身につけていきました。
インドネシアに渡った後も、努力は続きました。
言葉も文化も違う異国の地で、デヴィ夫人は猛勉強をしてインドネシア語、フランス語、英語を習得したのです。
母国語の日本語を合わせると4ヶ国語を操る才女となりました。
この努力が、大統領夫人としての地位を確固たるものにしていきます。
しかし、幸せな日々は長くは続きませんでした。
1965年の政変後、インドネシアの政情が激変し、スカルノ大統領は失脚してしまいます。
デヴィ夫人は1970年にフランス・パリへ亡命し、その後1991年にアメリカのニューヨークへ移住しました。
そして日本に帰国し、現在はタレント活動や政治活動家として活躍しています。
貧困から国家元首の夫人へと上り詰めたシンデレラストーリーは、今も語り継がれているのです。
まとめ
今回は、デヴィ夫人の若い頃についてご紹介しました。
デヴィ夫人の若い頃は「東洋の真珠」と称されるほど美しく、その美貌が人生を大きく変えました。
19歳で帝国劇場でスカルノ大統領と運命的な出会いを果たし、22歳で第3夫人となったのです。
しかし、その華やかな人生の裏には、貧困からの脱却や4ヶ国語の習得など、並々ならぬ苦労と努力がありました。
デヴィ夫人の若い頃の波乱万丈な人生は、まさに現代のシンデレラストーリーと言えるでしょう。
現在も84歳という年齢を感じさせない若々しさで活躍し続けるデヴィ夫人から、これからも目が離せませんね!

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